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いてっ!氏、ゼルダの伝説を語る

── いてっ!さんは初代ゼルダが一番好きなようですが、今のゼルダに対して言いたいことはありますか?
ゼルダの伝説はシリーズを重ねるごとにどんどんつまらなくなっている。
これは作り手と受け手の両者がゼルダに対して誤った認識をしてしまったことによる、イメージの乖離が原因なのだと思う。
ゼルダの何が楽しいのか?という部分は人によって違うと思うのだが、ゼルダの価値を高めていたものは何だったか?という点については答えが出せる。
初代ゼルダはゲーム史に残る素晴らしい作品であったのだが、何故素晴らしい作品とされるのかという分析は可能である。

── 確かに現在のゼルダは売り上げ的にも内容的にも縮小再生産に陥っていますし、もはやゲーム史の隅っこ、もしくは語られるべき対象ではなくなっていますね。
ゼルダが失ってしまった物とは一体何なのでしょうか?

そのキーワードはゼルダらしさである。一言で言うと、ゼルダらしさが受け継がれていないから、ゼルダは死んだ。
一般にゼルダらしさというと大抵の人は
・緑の服の人やチンクル、石を吐くタコなどのお決まりのキャラクター
・アイテムを使った移動、謎解き、ボス戦
・シリーズを通して同じ音楽や効果音
・ゲームクリアに関係のないミニゲームやサブイベントなどのやりこみ要素
このようなものを思い浮かべるのではないだろうか。一言で表現すると「謎解きアクション」

── うーん、特に時のオカリナあたりからゼルダに触れた人々は、そういうイメージが強いようですね。
しかし、私の考えるゼルダらしさは全く違う。非常に要約すると、RPGのアクションゲーム的解釈こそがゼルダなのである。
つまり「経験値を排除したアクションRPG」、これがゼルダなのである。
・フラグは殆どなく、プレイヤーのスキルやキャラの強さによって行動範囲が決められる
・キャラのパワーアップとプレイヤーの上達がリンクする
・ルピーが意味を持ち、鍵や薬やショートカットなどプレイヤー側の蓄積要素が多数あり、努力すればクリアできる
ようするにRPGというのは冒険している感覚、強くなっている感覚を感じさせるのが大事なんですね。つまり、自己の拡大=冒険なんです。
子供の頃、自転車を乗れるようになると隣町まで出かけられるようになったときの喜び、胸の高鳴り、様々な発見、これを疑似体験するのがRPGと言っていい。

── そのドキドキ感、ワクワク感はよく分かりますね。ようするに今のゼルダはこの感覚を大事にすることをすっかり忘れてしまっている、と。
そうなんですよ。ダンジョンで謎解きという名のミニパズルをこしらえるのに必死で、ネタも尽きていてダンジョンの数も少なく
Lvコントロールするのにも鈍感で、アイテムをフラグ代わりに使用し、映画的な演出を見せることに重点を置いている。
スキル以外にプレイヤーに蓄積要素を用意するために「謎解きによるショートカット」「箱庭的マップ」「アイテムの色んな使い道」があったのだが
歪な形でそれが残ってしまった。

── 方向性を完全に見失ってしまったゼルダ、一体この先どうすればいいのでしょうか?
私の作ったArmageddon Quest Foreverに一つの可能性が提示してあります。プレイしてみてください。
あのゲームにはゼルダらしさの全てが詰まっています。
ゼルダに関わる全てのクリエイターと全てのゼルダファンよ、目を覚ませ!

── ありがとうございました。私も早速プレイさせてもらいます!

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